「長期戦覚悟で、これから貴女を口説くから。以後、よろしくです。」 冗談だとしか思えなかった。 だってそれを言ったのは他でもない、彼だったのだから・・・・ be in a serious crisis 「・・・・一体、お前は何を考えてるんだ・・・・」 「ん?」 対面でサロメお手製のマドレーヌを頬張っていたヒューゴは呻くようなクリスの声に顔を上げた。 最近背が伸びたと嬉しそうに話していた通り、彼はここ半年ほどで目線がクリスと同じ所まできていた。 でもかつてと変わりないあどけない表情をすっかり見慣れている事に気が付いて、クリスはため息をついた。 『長期戦覚悟で口説く』宣言をして以降、ヒューゴはしばしばゼクセンに姿を現すようになった。 訪れる時の用事が毎回違うことから察するに、どうやらカラヤでゼクセンがらみの用事があると片っ端からそれを自分でこなすようにしているらしい。 そして用事が終わると必ずクリスのお茶の時間を狙って現れるのだ。 ヒューゴとどう接して良いかわからずに最初のうちは色々理由をつけて断っていたクリスだったが、3ヶ月ほどその態度を続けても変わらず通ってくるヒューゴに根負けして、以来特別な用事がなければお茶に招くようになっていた。 しかし、あれから半年、あの時以外ヒューゴの態度は以前とまったくかわりないものだった。 あの宣言のようにクリスを強引に口説こうという態度など微塵もない。 それどころか、次期族長としての勉強の上での悩みだとか、炎の運び手だった者達のその後の話だとかを面白可笑しく話してくれたり、まるっきり普通の友人同士のような会話をしてある程度話をすれば自ら話を切り上げて帰っていくのである。 (それは、ありがたいんだ。) クリスは剣術や軍事的やりとりには慣れていても恋愛事には超が付くほど慣れていない。 だから今の状況に取りあえず安心はしている。 しているが・・・・こうも態度がまちまちだと、戸惑うのだ。 「どうかしたの?クリスさん?」 ヒューゴにそう言われてはっとした。 中途半端に問いかけられたまま、きょとんとしているヒューゴが目に入る。 その様はいっそ憎らしいぐらいに以前のままで、クリスは眉間に皺が寄るのを自覚した。 ―― なんでヒューゴはこんなに普通なのに、私は戸惑ってばかりいるんだ? ―― なんで訪ねてくるんだ? ―― なんのために・・・・あんな事を言ったの・・・・? クリスの心を冷たい考えが過ぎる。 気が付いたら口元から言葉が滑り落ちていた。 「・・・・なんであんな事を言った・・・・」 「え?」 「私を・・・・私をく、口説くなんて・・・・なんのために言ったんだ!」 クリスに言われた事がわからない、というように首を僅かに傾げるヒューゴにクリスの苛立ちがつのる。 「お前はそうやって私がうろたえる姿を見て満足していたのか!?親友を手にかけた私が、お前の一挙一動に戸惑っているのを見て!」 叫んでしまってから、しまったと思った。 ヒューゴと自分の間で一番勘ぐってはならない禁忌を踏み越えてしまったのだと気づく。 すっとヒューゴの目が細められる。 クリスは頭の上から冷水をかぶせられたような気がした。 彼は軽蔑するに違いない。 笑いながらヒューゴの話を聞いている心の中で、こんな事を疑っていた自分を・・・・。 いたたまれなくなって、音を立ててクリスは立ち上がった。 あんな事を言ったくせに、ヒューゴに軽蔑されるのが酷く恐ろしくて。 「・・・・すまない。」 掠れるほど小さな声で呟いて部屋から逃げ出そうとしたクリスは、ドア手前でそれをあっさり阻まれた。 驚くほどの俊敏さでヒューゴがドアとクリスの間に立ちはだかったからだ。 「ヒュー・・・・」 「そうだと言ったら?」 「え・・・・」 顔を上げることが出来ず俯いたままのクリスの耳を打った言葉はぞっとするほど冷たく聞こえた。 「俺がルルの仇のクリスさんを苦しめるために、貴女を口説くって言ったんだとしたらクリスさんはどう思うの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 何も言えずにクリスは唇を噛んだ。 彼の親友の命を自分が奪ったのは消しようのない事実。 それを彼が憎んで復讐しようとしたとしても文句が言える立場ではない。 ―― ・・・・でも (・・・・痛い・・・・) 無意識にクリスは左胸の服を握った。 ヒューゴに憎まれているという事が哀しくて。 あんな事を言われて欠片でも本気にしてしまって戸惑った自分が酷く滑稽で。 胸が切り裂かれるように痛かった。 自然と喉の奥がつんっと痛んだ事に気づいてクリスはさらにきつく唇を噛んだ。 わずかに血の味がしてたまらなく切ない思いにクリスが瞼を伏せた・・・・その時 ―― 酷く優しく、唇に何かが触れた 「!?」 ばっと顔を上げたクリスの目に映ったのは、想像していたものと全然違う、困ったような照れたような顔のヒューゴだった。 まるで苦笑するようにヒューゴは自分の唇に触れて言った。 「最初が血の味って、色気がないね。」 「・・・・・・・・・・・・・」 「あのね、そうだと思った事もあったよ。」 「え?な、何が?」 話に付いていけないクリスを見てケラケラとヒューゴは笑った。 「さっきの質問の本当の答え。 ルルの仇だからクリスさんが気になってしょうがないんだと思おうとした事もあった。ルルの仇の貴女を想う事なんて許されないって。そんな事思うはずがないって、随分悩んだ。今、思えばジョー軍曹やナッシュさんが言った通り俺は子どもだったんだ。」 ほんの少し照れくさそうに話すヒューゴを呆然とクリスは見つめていた。 (―― ・・・・なん・・・・だって・・・・・・?) 「でもクリスさんが真の水の紋章を引き継いだ頃にはもう諦めたよ。認めるしかなかったんだ。だってクリスさんがパーシヴァルさんとか、ボルスさんとかにすごく無防備にしてるのを見ると腹がたってしょうがなかったし、姿が見えないと心配だったし。クリスさんってば腕はたつくせに変なところで天然だからさあ。」 そこで言葉を切ったヒューゴに咎めるように見られて、何故か居心地の悪さにクリスは一歩後ずさる。 「天然じゃ・・・・ない。」 「天然だよ。強くて、脆くて、天然で・・・・そんなアンバランスな人じゃなければ、俺はきっと貴女の事をただの仇として憎んでいられたのに。」 一歩踏み出したヒューゴに押されるように、クリスも一歩下がる。 「そんな人じゃなければ、こんなに」 真っ直ぐなヒューゴの視線に射られたように目をそらせない。 心臓がドキドキとうるさくて、喉がひりついているのに。 出来るのは少しだけ足を後ろに引いてヒューゴとの距離をとるぐらい。 しかしそれすらヒューゴはたった一歩で縮めてしまって。 ヒューゴは柔らかく言った。 「こんなに、好きにならなかったのにさ。」 鼓動が、跳ねた。 それまでとは比べ物にならないぐらいに。 (な、な・・・・!) 自然と熱が顔に集まっていくのを自覚してクリスは狼狽えた。 (なんでこんなにドキドキするんだ!?) 制御できない鼓動に思考が付いていかなくて、なんとかそれを抑えようとクリスは口を開いた。 「だ、だって、そんな素振りは全然・・・・!」 「全然って、長期戦覚悟で口説くって言ったでしょ?」 「いや、でもその後は・・・・」 「後?」 「その後は全然普通だったじゃないか!」 「ああ。」 初めて納得した、というようにヒューゴが頷いた。 「それは、ほらよく言うでしょ?恋の駆け引きってやつ。押しっぱなしじゃ逃げられるばっかりだってエースさんが言ってたから。」 十二小隊の自称女たらしの顔を思い出して、いかにも彼が言いそうだと思わずクリスは脱力した。 (エース殿・・・・少年に何を吹き込んでいたんだ。) 恨んだところで、彼は遠いカレリアの空の下。 ため息をついたクリスはヒューゴが悪戯っぽい笑みを浮かべたのを見落としてしまった。 「・・・・でも効果はあったみたいだ。」 「え・・・・!?」 我に返った途端、ヒューゴのアップが目に飛び込んできてクリスはぎょっとして飛び退いた。 その距離をゆっくりヒューゴが詰める。 「クリスさん、俺が復讐しようとしてるかも知れないって思ってた時、哀しかった?」 「そ、それは、まあ。」 「それってどうして?」 「え・・・・」 (どうしてって、ヒューゴがそんなに私を嫌いだったのかと思って・・・・だから哀しくて、嫌われるのが怖くて・・・・って、あれ?) どうして哀しかった? どうして嫌われたくなかったの? どうして、ドキドキするの? (―― ・・・・っ!!) かあっと顔が赤くなったのが自覚できて反射的にクリスは口元を手で覆った。 急にさっきヒューゴに触れられた唇が熱くなったような錯覚に陥る。 自分の中で形になった想いをなんと名付ければいいか、わかってしまったから。 まるでそれを見透かしているようにヒューゴが優しく笑った。 「好きだよ。」 がたんっっっっ!! 後ずさった拍子に椅子が倒れた。 あまりに派手な反応にヒューゴは笑いを必死にこらえた。 (ク、クリスさん、可愛い。) 真っ赤になって逃げようとするクリスはいつもの凛々しい騎士団長姿からは想像できないほど、かわいらしくてヒューゴは嬉しくなる。 「クリスさんが、好きだ。」 その言葉に押されるように一歩下がったクリスの背中に堅い感触。 (!?) 慌てて横に逃げようとしたクリスの進路を褐色の腕が遮った。 ぎょっとして見ればいつの間にかヒューゴと壁の間にしっかり追いつめられていた。 息が触れそうなほど近くでヒューゴは少し悪戯っぽく言った。 「クリスさんは?クリスさんは俺の事、どう思ってるの?」 「ど、どうって・・・・・」 たぶん、好きだ。 自覚したてではあるけれど、ずっと前からヒューゴの事を気にしていたようにも思える。 それは、そうなんだけど・・・・ 「クリスさん?」 さらに追い打ちをかけるように覗き込んでくるヒューゴから目をそらしながらクリスは心の中でだらだら冷や汗を流した。 (・・・・今、好きだなんて言ったら、私はどうなってしまうんだ・・・・!) 考えるだに、恐ろしい。 さらに恐ろしいのは、そろそろお茶の時間も終わりだろうとあたりをつけた他の誉れ高き六騎士達やルイスがこの部屋にやってくる時間だという事。 彼らにこの状況を見られるわけにはいかないし、かといって素直に告白してヒューゴがそのまま離してくれるとも思えず。 追いつめられたクリスの頭の中を電光石火で1つの言葉が駆け抜けた。 (絶対絶命・・・・) 目の前のヒューゴはいつクリスが言ってくれるだろうと期待たっぷりの目で見つめている。 その様は子どもっぽくもあり、可愛くて、そんな彼に想われているというのは嬉しいのだけれど、でも。 (だ、誰か助けてくれーーーーーーーーー!!!) ―― その後、彼女が絶体絶命をどう切り抜けたのか。 それはご想像にお任せするということで ―― 〜 END 〜 |